『気圧計の話』、あるいは問題の境界を確定すること

はてなブックマーク - [PDF] ある物理学生の回答 「気圧計を用いて,高い建物の高さを決定することができることを示しなさい」

しばらく前に話題になった「気圧計の話」ですが、すでに各所で指摘されているように、この話の大元はワシントン大学セントルイス校の物理学教授であるアレクサンダー・カランドラによる『気圧計の話』(The Barometer Story)です。

The Barometer Story by Alexander Calandra

id:machida77さんによれば、カランドラ教授はこの「気圧計の話」で、当時の「新しい数学」教育に対する批判を意図していたようです。

この時点で、この質問に対する型にはまった答えを実際に知らないかどうか学生に尋ねました。

彼は、知っていることを認めたが、主題の構造よりも、科学的手法を使った考え方や新しい数学によくある衒学的な方法を使って主題の深く内的な論理を探ることを教えようとする高校や大学の教官にうんざりさせられたと言いました。

彼はこれを念頭に、学問的な冗談として、スプートニク・ショックを受けたアメリカの教室に挑戦するため、スコラ哲学を蘇らせることを決めたのです。

(かなり雑な訳)

この部分こそ、タイトルの由来であり、大元の記事でCalandraが書きたかったことだろう。

そして、ここで注目すべきは、「新しい数学」の手法は「衒学的な方法で主題の深く内的な論理を探ること」で、それは「主題の構造」を探ることより価値がないものだと示唆していることだ。

「気圧計の問題」の意図 - 火薬と鋼

この「新しい数学」は上記引用にもあるように、スプートニク・ショックにより生み出されたもので、教育の早い段階から抽象的な数学的構造を導入し、数学能力向上を目指したカリキュラムです。

新世代の技術者を養成するため、様々な教育計画が開始された。この中で今日もっとも記憶されている、また注目すべきものは、初等教育における算数教育を根本から改革し、集合論や十進法以外の位取りなど抽象的な数学的構造を早い年齢から導入してアメリカ人の数学能力向上を目指したものの教育現場に混乱を起こした「新しい数学(New Math)」というカリキュラムであろう。

スプートニク・ショック - Wikipedia

集合論や抽象的な数学的構造を基礎にしているという点では、この「新しい数学」は多分にブルバキの影響を受けたものですが、ブルバキの「数学原論」が肥大化、抽象化の末に頓挫したように、有用性を無視したその抽象性によりこのカリキュラムは現場に混乱をするだけに終わりました。


さて、この「気圧計の話」は、マレー・ゲルマンの著書『クォークジャガー』の中でも、「問題の定式化」という文脈で引用されています。

問題を定式化するには、その問題の真の境界を見つけることが必要である。

[…]

次ページに描かれた図の有名な問題について考えてみよう。「一筆で、できる限り少ない数の直線で、九つの点すべてを結べ。」多くの人は、まず外側の点を結んで四角く線を引かなければならないと考えるが、そのような制約は設問の中に含まれていない。四角形内で線を引こうとすると、五本の線が必要となる。もし四角形の外にまで線を延ばしてもよいと考えれば、図に示したように四本の線で結ぶことができる。もし、これが現実世界の問題であれば、それを定式化するにあたって肝心なことは、線を四角形内に限る理由があるかどうかを明確にすることだろう。これが、「問題の境界を確定する」ことの重要な一部である。

もし、設問が四角形の外まで線を延ばすことを認めるのであれば、それはたぶん、同様にほかの種類の自由も認めている。紙を折り曲げすべての点を一列に並べ、それらすべてを一本の線で結ぶ、というのはどうだろうか?

[…]

問題の境界を確定することは、問題を定式化する上でいちばん重要な点である。この点が、ワシントン大学セントルイス校の物理学教授アレクサンダー・カランドラ博士が書いた『気圧計の話』のなかで、もっとはっきりと指摘されている。

(以下、『気圧計の話』の引用)


クォークとジャガー―たゆみなく進化する複雑系』pp.328-329

「問題の境界を確定することは、問題を定式化する上でいちばん重要な点である」、これは物理学に限らず、あらゆる議論に言えることですね。


クォークとジャガー―たゆみなく進化する複雑系

クォークとジャガー―たゆみなく進化する複雑系